06
闇が霧のように散り、天文台の空気が、少しだけ軽くなる。
静寂の中で、エーモンがぽつりと問う。
それは、復讐者の問いではなく、迷子の子供の問いに近かった。
「彼女が死んだ時、苦しんでいたのか?」
あの女魔法使いは、アリアの最期の言葉を伝える。
憎しみを抱えたまま生きるのは悲しい。許しという選択肢があるのではないか。
いつか両方の世界が手を取り合って前に進む日が来ると、最後まで信じていた――。
エーモンは、何かを飲み込むように黙り込む。
そして、冷淡な声で言う。
「ここはお前たちの居場所じゃない。さっさと出て行け」
許したわけではない。
だが、殺すことも選ばなかった。
その一歩は、憎しみの城にとっては、崖の縁から引き返すほどの大きさだった。
ノランは、いつもの調子を取り戻すように笑う。
「本当に助かったよ!エーモンのことは僕に任せてくれ。説得してみせるさ!」
隅の陰で、シエルが静かにすべてを見守っていた。
彼女は手を出さず、ただ舞台の幕引きを見届ける。微笑を浮かべ、音もなく去っていった。
彼女が何を望んでいたのか――それは最後まで明確にはならない。だが、彼女がこの結末を待っていたようにも見えた。
やがて、十年の時が流れる。
カステラン城の遺した冷たい石壁の記憶の上に、ひとつの場所が生まれた。
アリア魔法学校。
誰もが魔法を学べる場所。血統でも種族でもなく、個人の意志と資質で評価される場所。
それは、後にアリア魔法都市の中心となり、商業と経済が発展し、学院、治療病院、デザイン院、軍事センターまで揃う大都市へと繋がっていく。
おとぎ話のような光景。
千年前なら想像もできなかった国。魔法使いも人間も出入りできる自由な国。
その起源にあるのは、アリアの夢だった。
生前には叶わなかった夢が、弟子たちの手で形になった。
ルイースは、あの夜の雨を思い出す。
自分が瀕死の地面に転がり、世界の憎しみに押し潰されそうになったとき、アリアが言った「ごめんなさい」という声。
あの声は、敗北の言葉ではない。
救えないことへの痛みを抱えたまま、それでも救うことをやめない者の声だった。
あの女魔法使いは学校の建設を誓い、ノランは奔放な笑みの裏で、エーモンと向き合う覚悟を固めた。
エーモンは、人間を許せないまま、復讐の意志を手放した。
許しきれない者が、それでも殺さない道を選ぶ――その選択は、理想主義よりも重いことがある。
そしてルイースは、師との約束をようやく自分の言葉にし直す。
平和とは、誰かを正しく裁いて終わるものではない。
憎しみが終わりきらない場所で、それでも手を伸ばすこと。
理解しようとすること。
相手を人として見ようとすること。
それが、アリアの遺志であり、始源の魔法院――アリアと呼ばれる物語の始まりだった。
雨は止む。
だが雨の記憶は、世界を洗い流すためではなく、二度と同じ悲劇を繰り返さないために残る。
アリア魔法都市の子供たちは、創設者たちの物語をおとぎ話として聞く。英雄譚として笑い、涙し、憧れる。
けれど、ルイースは知っている。
その物語は、おとぎ話ではない。
傷と偏見、恐れと憎しみ――それでも残った微かな光の記録だ。
そしてその光は、今も・・・。
誰かが誰かを「知らない」まま恐れる夜に、静かに灯り続けている。
そしてその灯りは、ずっとずっと。いつまでも。